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ぎょーむれんらく

 投稿者:削除@CIA  投稿日:2009年 4月 5日(日)06時55分5秒
返信・引用
  >落書きは人民食堂へ

そうですねー。
「猫の家」「猫の家」氏は、以後「人民食堂」にて願います。

http://8816.teacup.com/mappen/bbs

 

落書きは人民食堂へ

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2009年 4月 4日(土)09時37分59秒
返信・引用
  いい加減ステハリばっかしの馬鹿は放逐したら。
削除人諸兄、お仕事してね。
 

マルキスト

 投稿者:猫の家  投稿日:2009年 4月 4日(土)08時22分15秒
返信・引用
  >>TAMO2

はっきり言って日本のトロツキストとスターリニストは大して変わらん。
表面上の議論は違っても土台が同じだから。
というかトロツキストの方がはるかに文学と科学をくっつける。


この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの
古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。
全くヒドいものだの一語につきる。
日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの
でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は
「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。
現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ
の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。
副島隆彦「日本の秘密」 P148~149


これ以外に下等学問としての 「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの
日本語訳である。 ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という
意味である。 簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他に歴史学があり、その内容は
古文書や石碑の文の解説などを行う。これらは、学問としては下等学問である。
これとサイエンス(学問)の区別をつけなければならない。これが日本人にはできていない。
すべてごちゃまぜなのが日本の大学制度である。国家的学問犯罪と呼んでもいい。
大欠陥学問観と呼んでもいい。日本の大学は、世界基準では高等学校程度であろう。
このヒューマニティーズとサイエンスの区別がついてる日本知識人がほとんど
いない。すべてごちゃまぜである。
副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(上)」P324
 

いや、ここ、一応トロツキストファンクラブのサイトですから

 投稿者:TAMO2  投稿日:2009年 4月 3日(金)21時47分55秒
返信・引用
  う〜ん、こんな「ソ連教(正統)」を揶揄する文章を貼り付けられても、と思います。
 

マルキストへの賛歌4

 投稿者:猫の家  投稿日:2009年 4月 2日(木)18時42分6秒
返信・引用
  日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに
集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この
「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として
やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを
使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」
と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑
されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く
深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って
いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、
絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。
Philosophy is not a science!
アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。
こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と
思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは
ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
 

数百人同士の内ゲバ?!

 投稿者:N山  投稿日:2009年 4月 1日(水)13時20分25秒
返信・引用
  【内ゲバ主義を一掃せよ!】

ヘルメットに竹竿〜
70年代初めの「集会前のブンド同士の内ゲバ」の様相
http://www.47news.jp/video/general/post_303.php

【国家による内ゲバの公認を許すな!】
http://www.town.misato.akita.jp/misatochoukankou/gyoji/kamakura/takeuti.asp
「国指定重要無形民俗文化財」だってよ〜

【内ゲバは日本の伝統なのか、秋田の田舎が遅れているのか・・・】
http://bibouroku.eshizuoka.jp/e255887.html
 

太田竜の先見性

 投稿者:まっぴょん  投稿日:2009年 3月31日(火)21時09分27秒
返信・引用 編集済
  太田竜が初期の日本支部にしても、そのトップにいる事ができたのは、
やはりそのダイナミックな発想力と先見性にあったのだと思います。
日本支部に関して彼ほど大胆な発想で指導できた人はいなかった、と
当時の人達(例えば織田進)なんかは思ってるようです。
ただ、「アクの強さ」はあったようですが。(僕は一度も会ったことがないです)

例えば「北方領土と共産主義」に現れている当時の日本支部の水準は
「東西対決」を軸とした軍事的対立の中に領土問題を置いて考えているのに対して
当時すでに四トロから離脱していた太田竜は「辺境」に目を向けています。
われわれが当時帝国主義に対して「国家対国家」の空中戦をやっている時、
太田竜はその足元いる先住民の視点からものを観ていた。
その点は評価していいんじゃないかと思いますね。

ただ、その彼の視点から組み立てられた戦略が正しいかどうかは別ですし、
そのあとはだんだんズレていっちゃうんですけどね。(^◇^)
UFOまで出てきちゃって。これからどうなるんでしょう?
 

Re: 太田竜(^◇^)

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2009年 3月30日(月)15時31分46秒
返信・引用 編集済
  > No.4165[元記事へ]

まっぴょんさんへのお返事です。

> >太田の過去を知らないのかなあって。

トロツキスト(まあこのころはまだましだったのか)
第三世界革命論
アイヌ革命論
辺境最深部云々
原始共産主義礼賛
超極論エコロジー(家畜解放とか微生物とも共生とか菜食主義とか。)
ユダヤ陰謀論(フリーメーソン、イリュミナテイその他諸々、小田晋が、オウムの政治思想は太田竜の反ユダヤ陰謀論に影響を受けているといったらしいが、ほんとかしら)
妄想右翼思想(日本は陰謀でやられて白人組織に支配されている論)

よくしらないがこんなとこかな。

日本知識人どうこうという人ではなく単におかしな人と思う。
 

因みに「北方領土と共産主義」について

 投稿者:まっぴょん  投稿日:2009年 3月30日(月)13時49分59秒
返信・引用
  国際革命文庫は、第四インターが勢力上昇中の1975年前後から次々と出されていきました。
全20冊のうち3冊がどうしても入手できず、電子化できませんでした。
ただ、当時の第四インター派の戦略・戦術としての限界を持つ書だったという記憶があります。
当時の情勢はソ連東欧圏が存在し、第四インターは、「労働者国家無条件擁護」の立場でした。
それは東西の2勢力圏の拮抗の中に存在した世界において、
われわれは東側を「革命の後背地」「策源地」ととらえていたからです。
そうした立場から「北方領土はソ連のものである」という主張に貫かれています。
しかし、こうした「軍事的領土争奪戦」的とらえかたから、現地に生活する少数民族の問題について
認識が稀薄だったのではないか、と今では思うわけです。
今では、そうした点に関しても新時代社の認識は変わってきているように思います。
 

太田竜(^◇^)

 投稿者:まっぴょん  投稿日:2009年 3月30日(月)13時30分19秒
返信・引用 編集済
  >太田の過去を知らないのかなあって。

過去ログ(2003年8月分)
http://redmole.jp/log/2003/2003-08a.html

ここの掲示板で太田ドラゴン先生についての紹介は2003年にnoizさんが初出です。
世界党の一支部であった日本支部の頂点にいた人が今やユダヤ陰謀論ですからね〜。
こんな面白い話、見逃すわけないっしょー(^◇^)

僕の愛読書である「三多摩社青同闘争史」にも、その行状が面白く載ってます。ぜひご参考にどうぞ。
http://redmole.jp/ より「文献・資料室」に飛んでください
http://redmole.jp/bunko/14/bunko14f.html
 

うーむ

 投稿者:猫の間  投稿日:2009年 3月29日(日)23時12分9秒
返信・引用
  >>ありがとうね〜,どうでも良かったんだけれど副島氏のことは。

いやいや副島のことじゃなくわざわざ太田龍(今ではトンでも?反ユダヤ扱い?)を
出したことがどうなのかなって思って。
副島を何か変なやつとして無視しようとしたんだろうけど、その太田龍こそ
日本の戦後にできたトロッキストの元祖の一人なのに滑稽だと思ってね。
太田の過去を知らないのかなあって。
 

うにた…

 投稿者:葉寺覚明  投稿日:2009年 3月29日(日)20時10分16秒
返信・引用
  「前進」縮刷版の発売元だったのでありました。  

ウニタ書房店主

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2009年 3月29日(日)11時57分20秒
返信・引用
  >リアルさんへ
ありがとうね〜,どうでも良かったんだけれど副島氏のことは。

>ウニタ書店という、共産党の権威に逆らって
新左翼どころか,日本共産党の歴史も知らないらしいね。

「仙台国旗掲揚事件」…勉強してね。
 

少しばかり副島隆彦

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2009年 3月29日(日)08時12分24秒
返信・引用 編集済
  副島隆彦氏の著作についてちょっとだけ触れときます。私はあんまりいい読者じゃないけど。

この人がどういう左翼運動家だったかは知りません。本人自身、あの時代を美化する気は全くない、と言っているので、私がどうこう言うことでもないし。ただ、副島氏の功績は、アメリカの政治思想を多分始めてわかりやすく体系的に日本で紹介したことだと思う。今手元にないけど、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」(講談社)は、発売当時は結構衝撃的だった。今読み返したら細部では多少乱暴な要約や分類もあるのかもしれないけど、一冊の本でアメリカの保守とリベラルを概ねわかりやすく分類、紹介しようと思ったら多少乱暴に整理するしかないし、少なくとも私はたいへん多くを教えられた。それ以後、アメリカの保守派、リベラル派などの政治思想のわかりやすい本は色々と出たから随分理解は進んだけど、最初に見取り図を書いてくれたのは副島氏の功績。

それと、「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」上下巻(講談社)は、上記書の『応用篇』というか、映画をテーマに副島氏の政治思想を解説した本。特にアメリカの労働運動を描いた映画「ホッファ」と、いわゆるアメリカン・ポピュリズムの本質を描く「オール・ザ・キングスメン」についての解説はとても面白い。一方リベラル派映画人への憎悪や批判、日本知識人の後進性などへの文章はちょっと着いていけないものを感じますけど、この本、特に下巻の前述した二点の論文は読み応えがあると思う。これと、「アメリカン・ファシズム」三宅昭良 講談社)を読むと、アメリカ保守のある面はたいへんよくわかる気がする。

ただ、これ以降の副島氏の本は段々ついていけなくなって、殆ど読んでません。批評もしたがって差し控えます。
 

猫の間(家)さんへ警告

 投稿者:削除人@舎監  投稿日:2009年 3月29日(日)07時20分46秒
返信・引用
  無題投稿は削除対象です。  

Re: ここが何処で、相手が誰だと思ってんだ

 投稿者:草加耕助  投稿日:2009年 3月29日(日)01時13分59秒
返信・引用
  セクトNo.7さんへのお返事です。

> お前、この板の常連に完全に笑われているぞ。

「ところどころ間違っている」のなら、指摘して直してあげればいいんだけど・・・
「ところどころ正しい」場合はどうすればいいんでしょうね(笑
指摘するより一から書き直してあげたほうが早いレベルなわけで

それも主張とか内容ではなくて、その前提となる事実関係の話だからねえ
内容の議論に入るまでにこれじゃ10年かかるよ
とにかく勉強して出直してきてくださいと言うよりほかにしょうがないね

別に新左翼の行動や主張に興味をもったりましてや勉強する義務なんてないんだよ
でも、そちらから言い出したことだからね。
この人のように「何にも知らない」に近いレベルからものを言いたいんなら、それはそれなりで書き方というものがあるだろうにと思うよ。

http://bund.jp/

 

ここが何処で、相手が誰だと思ってんだ

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2009年 3月29日(日)00時24分57秒
返信・引用 編集済
  >東京の飯田橋から日大の方に降りて行ったところの、ウニタ書店という、共産党の権威に逆らって、(中略)と、語りあった者たちの中から、のちの新左翼党派の指導者たちが、余れたのだ。革マル派(革共同、かくきょうどう)の創業者の黒田寛一(くろだかんいち)や、そこから分裂した、中核派の最高幹部で後に、マサカリで革マル派に殺された本多延ヨシ(ほんだのぶよし)や、第四インター(=ヨントロと呼ばれた)の西キョウジュたちであり、そして、太田龍氏も、そこにいたのだ。

時系列が。別にあら捜しじゃないけど。

>1960年代末から70年の前半までに、「内ゲバ」と称された惨忍な殺し合いで、どれだけの多くの人間が、死に、そして身体障害者になっていったことか。私は、あの時代の少年兵であり、目撃者であるから、すべてのことを書き残してゆく。それが、自分の同時代人への務めだ。

内ゲバが『戦争』として本格的にテロ化したのは中核の本多書記長が殺された1975年3月14日以降だったと記憶している。もちろん70年代前期にも内ゲバはあったし殺された人間もいるのだが。時代の認識がだいぶ違っているな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BB%B6%E5%98%89

>太田龍は、その創業期からの、歪(ゆが)んだ精神をした人間のひとりである。
(略)その変わり身の良さには、ひとりの日本知識人としての、連続性の表明が無い。自分の思想転向経緯の説明が無い。

太田の芸風はみんな知ってるし。追求しても何にもでないだろうな。
ただ内ゲバの教祖は黒田寛一であるし、太田は宣伝扇動の権化だったはず。奴に人生を狂わされた人間は結構いるんだろうな。特に辺境最深部に退却した人間は。

受け売りもいいけれどインターネット検索で調べることができるんだから、もう少し自分で調べて事実関係に責任を持った投稿をすべき。

http://redmole.m78.com/bunko/15/bunko15f.html

三次会よりも人民食堂へ移動が適当じゃないの。

>何も知らさそうなのでこれも読んで勉強したまえ。

お前、この板の常連に完全に笑われているぞ。


[追記 12:45]
>やがて、革マル派、中核派、第四インターナショナル派、として分裂してゆき、凄惨(せいさん)な、殺し合いに入っていった、

まっぺんさんどうする?インターも内ゲバ党派にされちゃったよ。(爆
確かにゼロじゃなかったけれど(お前が言うなってか)殺し合いは無いよな。
どう考えても副島何某って左翼体験したこと無いんじゃないの。検索で調べればすぐわかる事実誤認と自らの虚勢が目立つな。
読む意味すらないし、掲示板の浪費以外何物でもないと確信するけれど。

[追記 13:17]
>中核派の最高幹部で後に、マサカリで革マル派に殺された本多延ヨシ(ほんだのぶよし)や、

本多書記長は鉄パイプだったと思ったら

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%A0%B8%E6%B4%BE%E6%9B%B8%E8%A8%98%E9%95%B7%E5%86%85%E3%82%B2%E3%83%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

>第四インター(=ヨントロと呼ばれた)の西キョウジュ

西京司(大屋史朗)

やっぱし、副島何某って『もぐり』だと思う。
 

(無題)

 投稿者:猫の間  投稿日:2009年 3月28日(土)23時38分31秒
返信・引用
  リアル=猫の間です。  

イレギュラーずさんへ

 投稿者:リアル  投稿日:2009年 3月28日(土)23時37分31秒
返信・引用
  >>イレギュラーずさん
何も知らさそうなのでこれも読んで勉強したまえ。

[604] 太田龍氏が私のことに言及しているので、私の考えを書きます。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/08/08(Wed) 09:12:00

 副島隆彦です。 下↓の「602」番で、 太田龍氏 のホームページの連載文の中に、私、副島隆彦に対する言及があると、隠密剣士という私たちの会員が、転載してくれている。
私は、太田龍という言論人については、次のように考えている。

1. 私は、一度だけ、8年ぐらい前(2000年?)に、さる出版社の編集者を介して、東京の神田でお会いしたことがある。

2. 次に、私が、太田龍氏、お会いしたかったのは、日本における、ユダヤ陰謀論の草分けとして、評判の良い本の著者として、ではなくて、日本の新左翼(しんさよく、ニュー・レフト)運動の創成期(1956年ごろから)の重要な自分としてである。

 戦前、戦後の日本の左翼 (=社会主義者たち。 日本共産党が、カトリックの総本山のヴァチカンのように、強大で神聖であり、戦前も戦後も、日本の理想主義の知識人層のほとんど90%以上が、日本共産党の権威に服していた。の理科系の大学教授たちであってもそうだった。 当時の日本共産党は知の権威であった。それに対して、日本社会党は、日本国の国民民衆、労働組合員たちにとてのソフトで温和な指導者たちであった)  の中から、生まれた、1956、7年の 「ハンガリー動乱」を契機にした、反ソビエトの民衆暴動、民衆蜂起、であった東欧各国の、モスクワ・クレムリン独裁体制(=ソビエト帝国)への反抗、抵抗があった。それの日本への波及と余波(アフターマス)としての、新左翼(ニューレフト)運動の創成期(=日本トロツキスト同盟)の主要な活動家像のひとりが、太田龍氏である。

このことは、ここの「今日のぼやき」の2年ぐらい前の文章に、「太田龍論」として、もっぱら、この日本新左翼運動の創業期のひとりとしての、太田龍氏を、書いている。私が、そのなかで、一番書きたかったのは、「やがて、革マル派、中核派、第四インターナショナル派、として分裂してゆき、凄惨(せいさん)な、殺し合いに入っていった、日本の過激派運動の、創業期の一人として、可哀想に、死んでいった若者たちに対して責任を感じないのか」という一点であった。そのうち、私のこの「太田龍論」を、再度、続編も書いて、今日のぼやきに、載せようと思う。

東京の飯田橋から日大の方に降りて行ったところの、ウニタ書店という、共産党の権威に逆らって、はやい時期から、新左翼運動を応援した経営者がいて、そこに集まった、きわめて敏感な感受性をした、若者たちがいて、彼らが、「君、この本知っている?」「ポーランドやハンガリーで今、起きていること
を知ってる?」と、語りあった者たちの中から、のちの新左翼党派の指導者たちが、余れたのだ。革マル派(革共同、かくきょうどう)の創業者の黒田寛一(くろだかんいち)や、そこから分裂した、中核派の最高幹部で後に、マサカリで革マル派に殺された本多延ヨシ(ほんだのぶよし)や、第四インター(=ヨントロと呼ばれた)の西キョウジュたちであり、そして、太田龍氏も、そこにいたのだ。

私、副島隆彦が知りたくて本人に確認したかったのは、その一点だ。ユダヤ陰謀論のような与太話(よたばなし)など、どうでもいい。
多くの日本の若者たちが、1960年代末から70年の前半までに、「内ゲバ」と称された惨忍な殺し合いで、どれだけの多くの人間が、死に、そして身体障害者になっていったことか。私は、あの時代の少年兵であり、目撃者であるから、すべてのことを書き残してゆく。それが、自分の同時代人への務めだ。 太田龍は、その創業期からの、歪(ゆが)んだ精神をした人間のひとりである。すべてを切開(せっかい)しなければならない。 1980年代から、自分だけ勝手に、ユダヤ陰謀論の、世界的な風潮を、目ざとく手に入れて、いち早く、日本でのユダヤ陰謀論の主導者となって転身した、その変わり身の良さには、ひとりの日本知識人としての、連続性の表明が無い。自分の思想転向経緯の説明が無い。

http://snsi-j.jp/boards/past.cgi?room=sample1&mode=find&word=604%A1%A1%C2%C0%C5%C4%CE%B6&cond=AND&view=10
全部を読みたいならここから。
 

船井幸雄が

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2009年 3月28日(土)22時44分36秒
返信・引用
  よくチェックしているHP
http://www.funaiyukio.com/

結構信者は多い?だって,上場するくらい儲かったんだから。

そこに,

>副島隆彦の学問道場(副島隆彦氏)
>太田龍の時事寸評(太田龍氏)

があった…ふーん。
 

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