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こんにちは。
若干、議論の混乱があるように思います。
まず、これは6月15日のネタニヤフ演説についての議論であって、
http://www.asahi.com/international/update/0615/TKY200906150001.html
「非武装国家というものの是非」という話ではそもそもないはずである、ということ。
この話の一方の側が、イスラエルという、銃を突きつけておいて、「まずお前が武器を置け」といって、相手が武器を置いたら安心して撃つ、というような最悪な連中である、という前提を無視しては、なんの意味もない話になってしまうのではないでしょうか。
イスラエルがそういう連中であるということは、この60年間、イスラエルが一貫して行ってきたことを参照するだけで十分でしょう。パレスチナ側には、「無抵抗で殺される」か「抵抗して殺される」か、どちらかの選択肢しか最初から無い状態が、60年間続いてきたのです。
そしてまた、いま、「お前が武器を捨てればお前を殺さないでいてやる」と言っている。
これは明らかに、次に奴らがパレスチナ人を殺すための理由を提示しているにすぎません。
「パレスチナが武器を捨てなかったから殺したのだ」。
ここで、「武器を置くこと」の一般的な是非を論じること、それ自体がイスラエルに対して、「次の殺戮」のための理由を与える行為でしかないではありませんか。
そしてまた、これはイスラエルが、今回のガザ虐殺で世界中の反戦派を敵にまわしてしまったことに対し、「非武装国家」という概念を持ち出すことによって、反戦派に対して分岐を持ち込むための戦略的発言であることは明らかです。
例えば日本では「護憲派」の人々が典型的であるように、「非武装国家」という概念は非常に魅力的なものです。下手をしたら、非武装国家という概念を言っている側のほうが「良い方」に見えてしまいかねません。
イスラエルはそこの部分を狙って、楔を打ち込んできているのだということをきちんと把握しておかなければならないのではないでしょうか。
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