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木畑壽信氏「現在の戦争の性格とわれわれの態度」を論評する

 投稿者:まっぺん  投稿日:2017年 9月25日(月)20時55分44秒
返信・引用 編集済
  ※一昨年、雑誌『流砂』の「戦争放棄特集」に木畑氏が投稿した文書があまりにもひどかったため、それを論評する文書を書いた。こうした論争は、「明日の世界」をめざす者にとって必要なことであり、批判は「誠意」として受け止めるべきだと思う。本人には生前、手渡したが、なにも返答はなかった。すでに公表した文書だが、あらためてここに再掲する。(武峪真樹)

木畑壽信氏
「現在の戦争の性格とわれわれの態度」
(以下「木畑文書」)を論評する

                   武峪真樹


■国民国家についての考察

21世紀の戦争の性格について
 現代の戦争は資本主義経済」を抜きに語ることはできない。経済という下部構造の上に、政治の一手段として戦争が行われるからである。
 さて、「流砂」2015年第9号にはそれぞれの論者がさまざまな角度から見せてくれた戦争についての深い洞察、鋭い指摘がある。

「国民国家」概念がゆらいでいる
 「国民国家」について、「国民」と「国家」との一体化に対する批判的観点から日本国憲法を見ようとする伊藤述史氏の試みには「国民国家間の戦争」として演出されてきた2度の世界戦争を止揚する立場が貫かれている。
 「国民国家」とは、「Nation State」の訳であるが、それはまた「民族国家」とも訳される。なぜなら、そもそも国民国家は民族国家として形成されてきたからである。近世まで領主の私有物であった「領域国家」から、その領域に住む人民共通のアイデンティティ=「民族」による国家へと再編された結果生まれてきたものだ。それ故にこれらの国家は国民国家であり、また同時に民族国家でもあるのだ。例えば300諸侯からなる江戸幕藩体制を明治維新によって打ち砕き「日本民族」の国家として再建した明治国家がまさしくそれである。
 しかし、20世紀までそのようにして生まれてきた民族国家(国民国家)は21世紀の今、「新たな分離独立運動」あるいは「自己決定権の主張」に直面するという転機を迎えている。スコットランド、カタルーニャ、そして沖縄――これらの地域が抱えている問題は「民族独立運動の細分化」とみなすこともできるが、一方、「国民国家」そのものが限界にきているともいえる。すなわち「民族的同一性」を国家の基礎としてきたことの中に見える欺瞞性、「支配民族」と「被支配民族」との軋轢が拡大し「国民国家」というシステムが制度疲労を起こしているということだ。日本で言えば沖縄・アイヌ・朝鮮などの「異民族・異文化」を強権的に「日本民族・日本文化」に統合してきた歴史の限界を省みることなく「単一民族国家・日本」という欺瞞的政治支配を続けてきた結果がいま、沖縄の「自己決定権の主張」という形で噴出している。

「国民」から「市民」へ、「階級」へ
 山田宏明氏の「二一世紀の戦争―『殺戮の連鎖』は絶てるのか」では、21世紀の戦争の姿を20世紀に到達した「総力戦」と比較し「ゲリラ戦」へと変化していると指摘する。第2次世界大戦において最高点に到達した「総力戦」型の戦争は、戦争終結とともに過去のものとなってしまった。それは核兵器の登場、あるいは、それまでの「国家間の戦争」ではなく、「階級戦争」の本質を持つ「革命戦争」の発展、また「国民」概念の後退と新しい市民意識の拡がりなどの理由からである。総力戦の衰退と共に「国民国家」概念も解体に向かってきた、と言えるのではないか。「国民」概念から国家を超えた「市民」概念へ、また戦争の本質を貫く「階級」概念へ、さらにそれを深化させた「マルティチュード」概念による分析も試みられている。
 こうした概念の変化を念頭において、木畑文書を観てみると、氏の文書はまことに「残念」と言わざるを得ない。戦争について考えるうえで必要な、そうした歴史的分析が皆無だからである。

■文書全体の構成

資料と主張とのバランスの問題
 まず文書の頁配分が非常にアンバランスなのに驚かされる。全体で25頁のうち、最初の約2頁分は、この文書を書くに至った動機、そして文書全体の「目次」といっていい解説が続く。そのあと、9・11テロとそれに対するアフガン侵攻の経過説明について、全く主体的立場を捨象した客観的説明に約7頁、【註】を始めとして法令やマルクス、吉本の文章を写した客観資料などに9・5頁を使い、自らの主体的主張に使われているのは残り6・5頁であるが、その6・5頁には、「『九・一一武装闘争に対するわれわれ一般大衆の態度』」、「『アフガニスタン侵攻』の性格とわれわれ一般大衆の態度」、「東アジア地域における戦争の性格とわれわれ一般大衆の態度」と題する3つの「われわれ一般大衆の態度」が書かれている。ところがその論旨の主要な部分では、一部を除きほとんど同一パターンといっていい「第一」から「第七」までの「行動綱領〈政治テーゼ〉」が3回、機械的に繰り返される。各国の政治状況をこのように機械的に叙述することに違和感を感ぜざるを得ないが、これではこの文書の「主張」とみなされる内容は、3分の1のわずか2頁分あまりにしかならないだろう。
 25頁のうちの核となる「主張」部分は2頁分を3回繰り返してあとはほとんど資料ばかりとは、驚くべき頁配分と言わねばならない。

東アジアにおける戦争の性格の根拠は?
 既述のように、戦争についての客観的記述は9・11テロと、それに対する米国・有志連合軍による報復戦争のみであり、東アジアにおける戦争の歴史や各国間の力関係などについては一言も書かれていないにもかかわらず、唐突に「東アジア地域における戦争の性格とわれわれ一般大衆の態度」が書かれているのである。つまり、「主張の根拠」となるものは何も提示されていないのだ。また9・11とその後の経過についても、提示されているのは客観的資料だけで、資料と主張との因果関係は認められず、根拠とは到底言いがたい。「論拠」が示されていないのでは「論文」とは言えず、「文書」と言うしかない。

■「国民国家間の戦争」は出現するか

「国家」に替わって台頭する「市民」意識
 以下、われわれに最も関係する「東アジアにおける戦争」を中心に論評する。ここでは3つの「テーゼ」なるものが次のように提唱されている (以下「流砂」2015年第9号170頁より引用)。

〈二〇一五年テーゼ〉
〈第一テーゼ〉
 東アジア地域における戦争は、現在の資本制的社会構成体と近代憲法体制の国民国家の段階において、東アジア地域の国民国家の間の帝国主義戦争は、すなわち、商品と資本の輸出が領土の分割と確保および支配を必然化するような戦争は、出現しない。
〈第二テーゼ〉
 東アジア地域における戦争は、東アジア地域の国民国家の間の、総力戦体制の構築の元での、戦線布告を伴う全面的な殲滅戦争は出現しない。
〈第三テーゼ〉
 東アジア地域における戦争は、東アジア地域の国民国家の間の国境線において、国境線の特定の箇所における領土帰属問題に端を発する、国民国家間の国境紛争である。  (引用ここまで)

 ここでは戦争は「国民国家の間」で行われると断定されている。20世紀後期以後、「国民国家」という概念自体が希薄となり、「個」としての人間を主体とする世界が広がり、国家よりも、市民ひとりひとりの「人権」を重視する「市民」概念が発達している。このような特徴を持つ現代社会において、なぜ戦争というものをことさら「国民国家間の戦争」に限定して解釈しようとするのだろうか。戦争が「国民国家間でおこなわれるだろう」と予測する根拠はなにか?

「国民国家間の戦争」はそれほど多くない
 木畑文書は「国民国家」なることばを多用しているが、20世紀後期以降の戦争の多くは国民国家間の戦争ではなかった。朝鮮戦争はふたつの国に分断されたひとつの民族が双方の立場から「国家統一」を目指す戦争であった。また、アメリカ帝国主義の反共戦略を背景に起こった東西両陣営間の戦争でもあった。ベトナム戦争も、ベトナム民族の独立を巡る戦争であり、これも「国民国家の間の戦争」とは言いがたい。

3つの「テーゼ」が意味するもの
 テーゼとは哲学的綱領ともいうべきものであるが、ここで述べられている3つの「東アジア地域における戦争」についてのテーゼは、「テーゼ」と名付けるほどに重要な内容なのであろうか? 3つのテーゼを1つに要約すれば「現代の東アジアに起こる戦争は、帝国主義戦争ではなく、殲滅戦争でもなく、国境紛争である」ということだ。3つにわけるほどのものとは思われないが、「テーゼ」は次のような形式で組み立てられている。――「第一テーゼ=Aではない」、「第二テーゼ=Bではない」、「第三テーゼ=Cである」。
 このような論述形式は、普通は三者択一の表現である。つまり同一のカテゴリーの中の互いに対立する3つのうちひとつだけを選ばせる場合の論述形式である。ところが、「帝国主義戦争」「殲滅戦争」「国境紛争」はどれひとつとして同一のカテゴリーには含まれないし対立する概念でもない。初歩的な文法の問題として、この「テーゼ」の分類の仕方には違和感を覚える。

■〈第一テーゼ〉 について

資本制的社会構成体?
 〈第一テーゼ〉の中で「資本制的社会構成体」などという言葉が使われているが、普通はこんな言葉は使わない。マルクスは生産力の発展段階と、それを土台とする上部構造とを総合的に表す概念として「経済的社会構成体」という概念を打ち出し、それを5つに分類した。即ち、原始共同体、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、共産主義社会である。つまり「資本制的社会構成体」とは「資本主義社会」の意味に他ならないのである。なぜことさらこのような言葉を使うのだろうか。その必然性をまったく感じられない。

具体的理由説明がない
 〈第一テーゼ〉は要約すれば「帝国主義戦争は起きない」と言うことだ。東アジア地域で「帝国主義戦争」を戦う能力があるのは、軍事力世界第二位の中国と第三位のロシアと第九位の日本と第十位の韓国だけ(2014年軍事費比較)だが、「戦争が起きない理由」が書かれていない。つまり何の分析もなく結論だけが書かれているのだ。これで「テーゼ」と言えるのだろうか?

「古典的帝国主義戦争」の時代は終わった
 植民地再分割戦としての帝国主義戦争は70年前に終了し再び起こる可能性は少ない。理由のひとつは核兵器の登場である。もうひとつの理由は宗主国による植民地の直接統治がなくなったからだ。代わりに大資本が国家の枠組みから離れて多国籍資本となり、旧植民地諸国からの搾取は続いている。だから古典的な意味での帝国主義戦争はなくなったが、帝国主義諸国が弱小国家や地域を襲撃する戦争はいまだにつづいている。(新しい形の帝国主義戦争の可能性については後述)

■〈第二テーゼ〉について

宣戦布告は不必要
 ここでは「総力戦体制のもとでの宣戦布告を伴う殲滅戦争は出現しない」と、3つの条件が揃った戦争の出現を否定している。では3条件が揃わない戦争、たとえば「宣戦布告を伴わない殲滅戦争」とか、「総力戦ではない殲滅戦争」ならありうるのだろうか?
 そもそも「宣戦布告」などは帝国主義国家同士の戦争の「マナー」に過ぎず、戦争の本質とは何の関係もない。旧日本帝国主義は対米英戦争開始にあたって、アメリカに対しては遅れたため宣戦布告としては無効となった。また英国に対してはまったく宣戦布告を行なうことなくマレー沖の英国東洋艦隊を攻撃し、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと戦艦レパルスを撃沈したのである。

「殲滅戦争」の意味
 カール・フォン・クラウゼヴィッツが『戦争論』のなかで提唱した「 Vernichtungsgedanke」は「殲滅戦」(または「撃滅戦」)理論と訳される。18世紀ヨーロッパの戦争はそれぞれの王国が雇用した傭兵同士による戦争であり、一方が優勢となった時点で互いに戦力を温存したまま戦争を終わらせるのが「文明国の人道的な戦争」とされていた。しかしフリードリッヒ2世率いるプロイセン軍は敵軍の完全撃滅によってヨーロッパの覇者となっていった。また革命後のフランスでは国家の存亡をかけて「国民軍」が組織され、統帥するナポレオンによって敵戦力を撃破する戦法が採られた。これらをクラウゼヴィッツが「殲滅戦」と名付けた。「殲滅戦」とは戦術理論である。だから「殲滅戦争」というのはことばの使い方が間違っている。

殲滅戦から総力戦へ
 殲滅戦の目的は速やかに敵の戦闘能力を奪うことにある。殲滅戦理論は19世紀には通用したが、日露戦争や第一次世界大戦のころになると、機関銃などの兵器の発達と塹壕戦とによって戦争は持久戦(消耗戦)へと推移し、持久戦に耐え抜く戦力を長期に維持するため、「国家総力戦」(総力戦)が必然となっていった。したがって「国家総力戦」の時代には「殲滅戦」理論は通用しなくなったのである。
 「持久戦」と「殲滅戦」とは対立する概念である。木畑文書の「総力戦体制のもとでの殲滅戦争」ということばは矛盾しており、クラウゼヴィッツを理解しているとは言いがたい。

総力戦から人民戦争へ
 第二次世界大戦において、殲滅戦はドイツ軍によって「電撃戦」という形で復活したが、ソ連軍(スターリングラード攻防戦)やレジスタンスの抵抗による持久戦の前に再び敗れた。そして第二次世界大戦後には戦争自体の階級的性格が変化し、中国革命以後は国家権力が国民に強制する「国家総力戦」型から、より革命的な毛沢東の「人民戦争」型へと発展してゆく。
 「殲滅戦争」なることばはそもそも専門的用語とは言えないが、「大量殺戮」の意味で使用しているなら「殲滅戦争」ではなく「絶滅戦争」とか「殺戮戦争」と言うべきだろう。

■〈第三テーゼ〉 について

国民国家間の領土紛争の事例
 ここでは東アジア地域における戦争は国民国家間の国境紛争という形で起こると規定されているが、その根拠が示されていない。
 1982年のフォークランド紛争は「国民国家間の領土紛争」であり、当事国であるイギリスもアルゼンチンも自立した軍事行動が可能であったが、東アジア海域では米帝国を盟主とする同盟国家群と中国・朝鮮連合とが軍事的対峙関係にあり、個別の国家が米国に無断で勝手に戦争できるはずがない。木畑文書には、米帝国のアジア戦略についての分析が全く抜けている。

領土問題は戦争の本質的原因か
 例えば釣魚台(尖閣)や独島(竹島)をめぐって「中国と日本」あるいは「朝鮮と日本」が戦争を起こす可能性はあるだろうか? もしそうなったら、それは形式的には「国境を巡る国民国家間の戦争」と呼べるかも知れない。しかしそれでは全く本質的理解に至っていない。
 尖閣諸島(釣魚台)周辺には中国軍機がたびたび飛来し、日本政府はこれを「国境侵犯」と声高に非難している。しかし台湾も尖閣諸島領有権を主張している事を忘れてはならない。「尖閣諸島は日本から返還された領土」というのは両「中国」の共通認識なのだ。だから日本が「尖閣諸島を巡って中国と軍事衝突する」というなら、同じ理由で「台湾も日本の敵」ということになる。しかし「日華戦争」の危険は今のところ無い。それは「戦争の本質的原因は領土以外にある」からである。

国境問題は外交方針の問題
 2013年に日台両国(安倍政権と馬政権)は尖閣問題を棚上げし漁業協定を結んだ。安倍政府は中国に対しては敵対政策をとり、台湾に対しては平和協定を結んだのである。また「尖閣問題棚上げ」論は44年前の日中国交回復に際して中国(周恩来)と日本(田中角栄)の間でも合意した歴史がある。つまり国境問題は外交方針によって平和的解決が可能なのであって、それを何の前提もなく戦争の原因として持ち出すのは現実を無視している。
 対中戦争の危険性は、むしろ米軍のアジア戦略と、それに追随し中国との敵対路線に利用する安倍極右政権の政策から来ているものと理解するべきである。国境における衝突があったとしても、それは対立の「口実」にすぎない。

■米帝国の戦略と、自立する市民

「国民」から「市民」へ
 東アジアで「国民国家間の戦争」が起こる可能性は現代では少ない。第1の理由は、国民を政府の戦争に従わせる事が極めて困難だからである。ベトナム戦争時、アメリカ市民の大規模な反戦運動が広がり、それは米軍をベトナムから撤退させる強力な圧力となった。そのころから国家が国民に戦争を強制できなくなったのである。
 その原因は国家への忠誠に基づく「国民意識」が希薄となり、民主主義、人権、自決権の発達による「国境を超えた市民意識」がそれに代わってきているからである。
 もうひとつの原因は、貧困と格差が深刻となり、国家が「忠誠を捧げるに値する対象」ではなくなってきたからだ。

戦争は米帝の覇権下で起こる
 「国民国家間の戦争」が起きにくい第2の理由は、アメリカの覇権のもとに世界戦略が構築されているからだ。かつて世界の軍事力の半分を占めていたアメリカは今では世界の3分の1に後退し、中国の軍事力がそのアメリカの約3分の1に拡大しているという軍事バランスの中で、それでもアジア・太平洋地域最大の覇権国家として君臨するアメリカは、東アジア各国の軍が米軍の手足となって米戦略を支えてくれる事を望んでいるが、米軍の許可のない勝手な軍事行動を絶対に許さない。それは米軍の東アジアにおける覇権を脅かすことになるからだ。

米軍「対中戦争」のシナリオ
 米太平洋軍はハワイに司令部を置き、陸・海・空・海兵隊30万の兵力を極東、インド洋、太平洋全域に展開している。この米軍には「対中戦争シナリオ」が存在し、海上自衛隊「海幹校戦略研究」に翻訳掲載されている。その構想では、核戦争が不可能な現代では米中両国ともが核兵器を使用せず、両国は互いに安全なままで「日本列島およびその周辺海域」という限定された場所で戦争を行なうと想定されている。最初に沖縄が壊滅し、次に日本全土とその周辺が戦場となる。また米軍のこの戦略に沿って自衛隊は沖縄や宮古島など、広く南西諸島一帯に「日本防衛」ではなく「台湾防衛」のためのミサイル基地を建設しつつある。(機関紙『コモンズ』88号4頁・武峪真樹論文を参照)

新しい形の「帝国主義戦争」
 たとえ東アジア地域の国境地帯で衝突が起こっても、それが本格的な「戦争」にいたるのは米中両国が「戦争」を決意した時にのみ可能である。その場合の戦争は「国民国家」などという「国家単位」ではなく、米・日・韓・台・比同盟と、中・朝同盟という、「対峙する二大陣営」間で「集団的」にしか起こり得ない。その戦争は核兵器使用を保留した局地戦であり、アメリカと中国との「世界覇権」を巡る「新しい形の帝国主義戦争」である。
 つまり戦争が起こるとすれば、〈第三テーゼ〉型の「国境紛争」ではなく、新しい形の〈第一テーゼ〉型「帝国主義戦争」となるという事だ。その時には「戦争遂行の停止=停戦を呼びかける」(木畑文書〈第四〉)などとのんきな事を言っている場合ではない。米国防総省のプランによれば、もしも米中戦争が起こった時には、日本全土が戦場となると想定されているからだ。

現在も進行中の戦争について
 中東ではパレスチナ闘争や「イスラム国」問題が現在も続いているが、中東の国境線は第一次世界大戦によってトルコから領土を奪った時に、英仏帝国主義のヤミ取引によって勝手に線引きされたものである。したがってこれが「国民国家の基礎の上で」(「流砂」2015年第9号167頁〈第二〉)再構築されるべきだというのは帝国主義への加担である。どのような国家を建設するかは、何よりも「国家なき民」クルド民族なども含む当事者である中東・パレスチナ諸地域の人民が自ら決めることであって、我々が「テーゼ」の名で彼らに押し付けるべきではない。すでに指摘したように、そもそも「国民国家」とは「民族国家」の成立過程で生まれた概念であったが、中東地域では「民族」よりも「イスラム」をアイデンティティとして強調される事が多い。そうした問題をまったく無視して「国民国家」(民族国家)を押し付けるのは現実を無視している。また「われわれ一般大衆は・・・タリバンを打倒する」などと述べているが、驚くべき反動的な、帝国主義者に加担する主張である。タリバンを作りだしたのが米軍とCIAであることは広く知れ渡っているが、それを打倒するかどうかも含めてそれぞれの地域の民衆が主体的に解決する問題であって、われわれが彼らの意志を吟味もせずに命令するのは僭越である。
 また、安倍はこれらの戦争に参戦し、米中戦争にも米帝国側の一員として参加するために「集団的自衛権」と「安保関連法制」を必要としたが、これについて木畑文書はまったく言及していない。なぜ他国の問題には口を出しても、日本民衆の「主体」としての問題については言及しないのか。日本の多くの「一般大衆」が「戦争法廃止」「集団的自衛権反対」「安倍政権打倒」を叫んでいるにもかかわらず、である。

■〈二〇一五年行動綱領(政治テーゼ)〉 について

ドル体制の没落と世界の分散化
 今や世界は、90年代以後急速に経済発展を遂げた中国や、米帝国に反旗を翻した中南米諸国や、米帝国と同盟関係を保ちながらも政治・経済の分野では相対的に独自の道を歩み始めた欧州連合など、米帝国の没落とともに各々独自の方向に進みつつある。それを典型的に示すのが中国の提唱したアジア・インフラ投資銀行である。ここには日米が拒否したのとは対照的にアジアやヨーロッパの主要な国家群が参加を表明している。これはドル体制の弱体化の結果であると共に、弱体化をますます促進するものとなる。こうした状況の中で、覇権の維持を目論む米帝国の世界戦略と「不可分の一体」として、東アジアの軍事体制は構築されている。

〈第一〉から〈第七〉までの時間的整理
 以上に踏まえて〈二〇一五年行動綱領(政治テーゼ)〉(171頁)の〈第一〉から〈第七〉までを見てみると、その〈第一〉は賃労働が存在せず、共同労働であると言っているのだから、時間的には最後の段階になるだろう。そして〈第二〉は政治革命の遂行を謳っているのだから、〈第一〉に向かう段階ということになる。また〈第三〉は戦争遂行政権を批判し、〈第四〉で停戦の呼びかけ、〈第五〉でこの政権を打倒するというのであるから、「戦争遂行政権」の存在を前提としている。つまり時間的順序としては、〈第三〉~〈第七〉、そして〈第二〉、〈第一〉ということになる。
 この中で〈第七〉について考えてみよう。ここでは「東アジア共同体」が想定されているが、どのような共同体を想定しているのだろうか?

EUのような共同体では意味がない
 欧州連合(EU)は、欧州経済共同体(EEC)、欧州共同体(EC)などの段階をへて、国境検問の廃止、通貨統合までに至った。
 しかし欧州の人々はこの「共同体」によって「安心・安全の秩序」(172頁〈第七〉)を獲得できただろうか? 金融資本の暗躍によって経済破綻に陥った国々が出現し、その破綻からの脱却のために国家が民衆を犠牲にしている状況、また欧州連合自身が分裂の危機に陥っている状況を見れば答えは明らかである。〈2015年行動綱領(テーゼ)〉がめざすのはこのような「共同体」ではあるまい。

もうひとつの共同体の「モデル」
 我々はもうひとつの「モデル」を見守っている途上にある。それはウーゴ・チャベスが提唱し2011年に結成されたラテンアメリカ・カリブ海諸国共同体だ。まだ発足したばかりで経済統合が進んではいないが、ここには欧州連合とは大きな違いがある。それは「人民の権力が推進している」ということだ。
 それらの政府は圧倒的な民衆の力が資本の側の対抗馬を抑えて勝ち取った政権であり、社会主義に向かう大きな可能性を持っている。そのような民衆の政権が主導権を握った共同体であることが、欧州共同体との決定的な違いである。その分岐点は「資本に奉仕する共同体」なのか、「民衆に奉仕する共同体」なのかである。

東アジア共同体はいつ出現するか
 そのような共同体は、どの時点で出現するのか? 〈二〇一五年行動綱領(政治テーゼ)〉では「戦争政府を打倒」(第五)→「産業資源の国際的共同管理」(第六)のあとに出現するとされている。しかし、それでは「東アジア共同体」は資本にヘゲモニーを握られた欧州連合のようにしかならない。なぜなら欧州連合(EU)こそ「欧州石炭鉄鋼共同体」(ECSC)という、産業資源の国際共同管理を目的とする機関が出発点だからだ。また〈第五〉の政府はまだ戦争政府を打倒しただけの「別の資本主義政権」に過ぎないからだ。
 東アジア全体が米・日・韓・台・比同盟と中・朝同盟との軍事的対峙関係の中に存在し、また経済の面でも没落する「ドル経済圏」と、勃興しつつある「人民元経済圏」との経済競争の中で両陣営に分裂している東アジア諸国が民衆のための「共同体」などつくれるわけがない。せいぜい各国資本の利害が一致するTPP協定のような段階に留まるだろう。
 したがって〈第七〉は〈第二〉のあとでなければ不可能である。つまり「民衆の側に立つ東アジア共同体」は、アメリカ帝国の干渉を排除し自立した「民衆の政権」(それは政治革命によるものであろうと、ラテンアメリカ諸国のように選挙によるものであろうと構わない)によって作られるのでなければ不可能である。

■戦争に関して我々がとるべき道

全ての戦争は帝国主義に責任がある
 すでに述べたように古典的な形での帝国主義諸国同士の戦争は起こせない。それに代わり帝国主義諸国による経済的・政治的・軍事的介入がパレスチナ・中東・東欧・アフリカ・その他世界中で武力衝突を引き起こしている。またその一部は本格的軍事衝突に発展している。これは「国家対国家」というよりも「強者による弱者の人権・生活権の蹂躙」である。その結果、弱者側の対抗手段としてテロ攻撃が起こっている。
 この「悪無限の泥沼」と化した戦争世界の元凶が世界帝国主義体制であり、この体制の頂点で利権をむさぼるアメリカ帝国であることは明白である。今日、世界中で起こっている全ての戦争は、これらの帝国主義諸国の利権の強奪がその原因である。その一部が外見上「宗教的対立」に見えようとも、本質はまったく変わらない。

直近の具体的な「戦争の危険」
 帝国主義世界の盟主として君臨するアメリカは、彼らの戦略構想に基づき、日本政府に向かって極めて具体的な「任務」を要求している。その内容は平和憲法を投げ捨て、今までの「経済的支援」の段階から、後方支援(補給・兵站)、さらには最前線での戦闘参加といった軍事的任務まで踏み込んだ、アメリカの「全面的戦争同盟」へと日本を引きずり込み、米軍の戦争に自衛隊を「参戦」させることである。
 安倍政権はそのアメリカの要求に積極的に応え、集団的自衛権容認を閣議決定し、それに関連する11本の「安保関連法」(戦争法)を強行採決で可決させた。今後、自衛隊は米軍下請けの傭兵として戦場に投入され、米軍が「敵」と認定した相手を米軍に代わって殺傷し、また自分も米兵の身代わりとなって「戦死」するという可能性が生まれた。また米軍の戦争に加担する日本は「テロ攻撃の対象」となり、世界中の在留邦人にも危険が及ぶことになった。
 われわれが今直面しているのは、このような直近の具体的な「戦争の危険」なのである。

日本における具体的な我々の任務
 今、われわれがやるべきことは、いつ起こるかも分からない「東アジアにおける国民国家間の国境紛争」に「停戦を呼びかける」ことではなく、「米国の戦争への日本の参戦」を目論む日本政府に反対し、自衛隊の海外派兵を阻止することである。また「安保関連法」廃案、辺野古新基地建設阻止に向けて闘うことである。そのためにもあらゆる手を尽くして全ての人々と団結し安倍政権打倒を目指さなければならない。
 それは日本の平和憲法を守り、沖縄人民の自治権・自己決定権をとりもどすための闘いであるばかりでなく、米帝国と闘う全世界人民との連帯闘争であり、米帝国打倒に向けた全世界協働の闘いの一環である。

 2015年11月        武峪真樹

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木畑壽信氏への追憶のために

 投稿者:まっぺん  投稿日:2017年 9月25日(月)20時41分37秒
返信・引用
  木畑壽信氏への追憶のために
                          2017.7月11日     武峪真樹

1951年生まれ。
私と同じ歳だ。誕生日が来ていれば66歳。彼と知り合ったのはいつだったか、正確には覚えていない。「アソシエ21」の講座に何度か参加した時に知り合ったような気がする。いつだったかロシア革命とプロレタリア独裁についての講座があり、その帰りの電車の中でその話をした事がある。電車の中で大きな声で10月武装蜂起や中央集権のことを語る彼に向けられる周囲の冷ややかな視線に彼は気づいていないようだった。正直いって、その時のかれのロシア革命についての知識は正確ではないと思った。正確でない知識から正確な判断は生まれない。その時は自信に満ちた彼の持論にうなずきながら聞き流すばかりだった。

やがて「変革のアソシエ」が発足し、私はその事務局員となった。彼もとても熱心にこの運動に参加し、「講座担当」となって毎回の講座の事務を担当するようになった。その熱心さには驚くものがあり、講座テーマを選択し、それに沿って大学教授や研究者に連絡して講座での講義を依頼していた。また毎回の講座には必ず出席し、参加者名簿の作成、受講料の徴収業務などをおこない、書記として講座内容を文書に記録して参加者全員にメールで送っていた。そのうえ、自主的に研究テーマを決めて何人かと共に研究会を開催していた。また1ヶ月ごとに翌月の講座予定をチェックし、ホワイトボードに記入していた。これらの仕事は自分だけが担当し、他の誰にも任せなかった。
毎年4月におこなわれる年度ごとの総会や記念シンポジウムにも関わりつづけた。総会に提出する議案のひとつは前年度の各講座についての成果であった。20近くもの講座の全記録を作って議案として配布。また次年度開設される新しい講座についても全て議案書にまとめて公表していた。それは膨大なエネルギーが必要な作業であったが、それもまた誰にも任せず彼ひとりがおこなっていた。

 彼の興味の対象はそうした学術的な研究であるらしかった。それも哲学的であって、しかも政治的にはマルクス主義につながるような分野である。吉本隆明はそれにふさわしい対象だ。おそらく学生時代の左翼運動の経験から吉本隆明には強く惹かれていたのだろう。同年代の左翼系知識人のあいだには吉本は今でも人気があり、崇拝する人もいるほどだ。彼もまたその“吉本崇拝者群”の一角を占めたいと思っていたのだろうか。
 書物に対する彼の熱心さは、哲学、政治に関わる書物を読むだけでなく、自らなにか本を書きたいという衝動にも顕れていた。季刊『変革のアソシエ』には彼の論文は出なかったが、栗本慎一郎・三上治の両氏を共同編集代表とする『流砂』に編集実務者として関わり、毎号に文書を載せ、それを周辺の知り合いに自慢げに配っていたことにも、その性向は見てとれた。
 一昨年、この『流砂』が第9号「戦争放棄」特集を発行し、様々な論者が戦争の問題、その遂行主体となる「国民国家」の問題について論じていた。ここに木畑氏も一文を載せ、それを私に「献本」してくれたので読んでみたが、あまりにひどい内容に私は腹をたて、反論の文書を送った。いま西太平洋海域はアメリカを盟主とする同盟諸国とその「仮想敵国」である中国・朝鮮連合との対峙関係の中にある。ここで戦争が起こるとすれば、この国際関係を抜きに考えることはできず、その関係性の中に沖縄の軍事基地も存在する。彼はそうした条件を一切捨象し、いつ起こるか分からぬ「国民国家同士の国境紛争」を第三者の立場から調停することを「われわれの任務」だと主張する。それに対して私は沖縄の米軍基地に反対することが戦争阻止へ向けて我々がやるべきことだ、と反論したのだ。
彼はどんな将来を頭に描いていたのだろうか。
できることなら、どこかの大学の教員となって深遠な哲学的命題について研究しつつ自説を語り、また書物に書くというような人生を送りたかったのではあるまいか。本を書くことへの執着も、また講座への熱心な関与もそれを示しているように思われる。そのための手段なのかどうか、あるいはそもそもの彼の性格がそうさせたのかどうか、「変革のアソシエ」や、「流砂」、「社会理論学会」等を通じて知り合った知識人や学者たちとの交流に熱心であったが、その反面、周囲の知人や友人への扱いは全くちがっていた。自分の主張が通らないと突然激昂し相手を怒鳴りつけ、「命令」を下す。権威主義のヒエラルキーを構築し、その中で「上」に媚び「下」を見下だし愚弄する態度を見せる彼にはうんざりさせられるものがあった。
少なくとも私は彼と何度かぶつかった。批判の手紙を送ったこともある。いや、「ぶつかった」というのは正確ではない。彼は私と対等の立場でぶつかったのではない。上から怒鳴りつけて命令を下したのだ。仕事上の私の領域に、何の権限もなく土足で踏み込み、無理やり命令に従わせようとする態度には耐えられなかった。こういうことがあってから、私はボランティアでやっていた「変革のアソシエ」の講座案内組版の仕事をやめ、その後は事務局も降りた。季刊『変革のアソシエ』本文のデザイン・組版も降りた。もはや彼と一緒に仕事をすることに耐えられなかったからだ。表向きの理由は、「他の仕事が忙しいから」という事だったが、真相は木畑氏との衝突に原因がある。

 そういうわけで私は彼が大嫌いだった。変革のアソシエ会員にも、彼を嫌って辞めた人が何人かいる。彼が全ての講座の講座担当をやり、講座の中に深く関与している限り、彼を嫌いな人で我慢できなくなった人は辞めていくしかなかったのだろう。
 なぜだろう。不思議に思うことがある。
このような権威主義にこだわり、上下のタテの関係にこだわる人物が、なぜ階級を廃絶し対等・平等の社会を建設しようとする組織にいることができるのか。そういえば彼はその組織の会議では必ず書記を買って出ていたが、それがどこかスターリンと重なる。スターリンも書記長の地位を利用して共産党の権力を簒奪していった。権力構造の中でそれを利用して力で相手を支配してゆく手法はマキアヴェッリとも重なる。彼は自覚してはいなかっただろうが、そうした手法を、いつか目的を獲得するための手段として無意識に使っていたのだろうか。
マキアヴェッリを私は嫌いではない。むしろ好きな方である。しかしその手法は「敵」との関係でふるうべきなのであって味方の中でそのような手法を用いるのはやはりおかしい。
 しかし、それでも彼にはまだまだ「チャンス」があった。こんなに早く死期が訪れなければ、いくらでも「あたらしい自分」を見つける機会はあった。研究者としての熱心さも誰にも負けなかった。彼のためにとても残念に思う。

 最初に「異変」を訴えたのは桑畑正信さんだった。
7月1日の労働講座に彼が全く何の連絡もなく欠勤したというのだった。そのあと5日には経理の佐藤さんとの約束にも来なかった。全く連絡もなく約束を破ることなど、これまでの「厳格」と言っていいほど几帳面な木畑氏には絶対に考えられないことだった。7月第一週には6日、7日、8日と講座が予定されていた。私は機関紙『コモンズ』の編集でも忙しかったが、なんとか時間を作って、彼の代わりに3日間の講座事務を担当した。まだその時には「九州の豪雨被害に遭遇した可能性」などを考えているばかりで、埼玉の現住所に行ってみることまで思いつかなかった。しかし、生田さん、大野さんとも相談し、まず大野さんが尋ねていったが、鍵がかかっていて、呼びかけても応答がなく、あらためて出直すことになった。
月曜日、私も大野さんと一瀬弁護士事務所の小田さんとともに3人で木畑邸を訪ねた。ご近所にあいさつがてら聞いてみたら、1週間以上も電気が点けっぱなしで、回覧板も放置されていたという。鍵を開けて中に入り、一部屋一部屋を捜索し、やがて、点けたままの電灯、点けたままの大型テレビ、点けたままの空気清浄機とともに、横たわる彼の遺体を発見した。

 警察に連絡し、自宅前で事情聴取を受けた。小田さんは先に帰り、あとからやってきた三上さんと3人でタクシーを拾い、駅で別れた。身体はそれほど疲れていないが、精神的な疲労感がどっと来た。彼の遺体が目に焼き付いて離れない。不思議なものだ。あんなに大嫌いだった人物なのに、先週一週間、「もしかしたら」という心配でいっぱいだった。九州の豪雨被害に遭っているのではないか、次には自宅で強盗か、それとも突然死か。「いちばんあり得ないことだが、突然何もかも放り出して失踪した可能性」を伊藤述史さんが口にしたとき、内心「いっそ、そうあって欲しい」と願った。それならば少なくともどこかで生きていることになる。しかし、そんな楽観的観測は最悪の形で裏切られた。

あれからずっと、彼の「人生」について考えている。人間は必ずいつかは死ぬが、普段から「人生」などという重たいものを考え続けるひとはいない。しかしそれが今は頭から離れない。木畑邸からの帰りのタクシーの中で、それから電車にのり事務所に向かうあいだじゅう、そして事務所に着き、今朝8時過ぎに『コモンズ』を校了にした後も考え続けている。彼はどんな人生を送ってきたのか。あの性格ではプライベートな話ができる人はなかなかいないだろう。彼にはどこかにお姉さんがいるらしい。また九州に不動産を持っていてそれで収入を得ているらしい。しかしその住所まで正確に知っている人は誰もいない。それにしても10日間もひとりぼっちでいたなんて寂しすぎる。「孤独死」の一歩手前だ。
その死に方はあっという間だったことが想像される。あっけない死に方だ。しかし、人生、そんな死に方の方がいいのではないか、とも思う。なにかの重病に冒され、鼻から、腕から足首からやたらとチューブを付けられ、何もできずに死ぬのを待ちながら何ヶ月もベッドに横たわる日々を暮らすよりは、いっそ、彼のようにあっけなく死にたいと思う。

 木畑氏と知り合いの「ある人物」が、自分がよく行く酒場に彼が時々ひとりで飲みに来ると言っていた。しかし目があってもこちらは知らん顔をする。それで木畑氏はひとり寂しげに酒を飲んでいるというのだった。それを愉快そうに話していたことがある。実際、彼が人といっしょに酒を飲む姿はあまり想像できない。あの性格ではなかなか親しい友人はできなかっただろう。しかし、こころの奥底ではやはり人が恋しかったのではあるまいか。彼が酒場に現れたのは、「酒」が目的なのではなく、「飲み友だち」を求めてのことだったのではないだろうか。しかしそれをうまく表現できない。そして自分の主張を強く押し出し、命令口調で怒鳴ってしまう。
 これを書いているあいだ、フォーレの「月の光」を何度聴いたことだろう。木畑氏への追悼のつもりで3分あまりの短い歌曲を、朝からもう100回以上も聴いている。
まったく趣きを異にするが「月」にまつわる2つの歌曲をずっと思い浮かべていた。ひとつはアーノルト・シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」。これはほとんど精神分析学的な、不気味と言っていい曲だが、不思議なことにぞっとするほど美しい。そしてもうひとつが、このガブリエル・フォーレの「月の光」だ。木畑氏を送る時には聴かせてやりたいと願う。

彼はほぼ10日間、誰にも看取られずにあのままじっと横たわっていた。9日の夜は満月だった。月だけが遥かの高みにいて、窓のむこうからそっと彼を見守っていたのだ。


アルベール・ジロー
月に憑かれたピエロ

1、月に酔い
目で飲むワインを
月は波のように 夜ごと降り注ぐ
そして大潮は溢れ出す
静かな水平線から
恐ろしいほど甘美な欲望が
計り知れぬ洪水となって泳ぎわたる
目で飲む酒ワインを
月は波のように夜ごと降り注ぐ
祈りに突き動かされた詩人は
この聖なる飲み物に酔い
恍惚として天に頭を向け
よろめきながら吸いすする
目で飲むワインを

2、コロンビーヌ
月の光の蒼白い花たち
純白の奇跡のバラの花たちが
七月の夜に咲く
おお その一枝でも手折れたら!
私の胸の不安をやわらげようと
私は探す 暗い流れに沿って
月の光の蒼白い花たち
純白の奇跡のバラの花たち
私の思いもしずまるだろうに
こんなお伽の国のようなこんな幸せの中で
とても幸せそうにしずかに振りまけたのなら
お前の栗毛の髪の毛の上に
月の光の蒼白い花たち


ポール・ヴェルレーヌ
月の光

Votre âme est un paysage choisi
Que vont charmant masques et bergamasques,
Jouant du luth et dansant, et quasi
Tristes sous leurs déguisements fantasques!

Tout en chantant sur le mode mineur
L'amour vainqueur et la vie opportune.
Ils n'ont pas l'air de croire à leur bonheur,
Et leur chanson se mêle au clair de lune,

Au calme clair de lune triste et beau,
Qui fait rêver, les oiseaux dans les arbres,
Et sangloter d'extase les jets d'eau,
Les grands jets d'eau sveltes parmi les marbres.

あなたの魂は選りすぐった風景
魅惑的な仮面、ベルガモの衣裳
リュートを奏で、踊りゆく
幻想的な仮面の下に悲しみを隠し

恋の勝利や人生の成功を
彼等は短調の調べにのせて歌う
その幸福を信じる素振りもなく
その歌は混ざりあう、月の光りに

悲しく美しいあの月の光の静寂に
梢の鳥たちを夢に誘い
すらりとした大きな大理石の噴水を
うっとりとすすり泣かせるあの月の光に

 

この人は何がしたいんだ?

 投稿者:焚火派GALゲー戦線  投稿日:2017年 2月25日(土)17時20分19秒
返信・引用
   今渦中の森友学園理事長がHPに「知事は中共の手先」

 一部の方から「愛国者」として讃えられ、自分の擁護運動が起こるとでも思ってるのだろうか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170225-00000013-ryu-oki
 

これ保存しとこう

 投稿者:焚火派GALゲー戦線  投稿日:2017年 2月19日(日)15時50分24秒
返信・引用 編集済
   森友学園が経営する塚本幼稚園のHPから。 海外メディアから否定的に取り扱われているのだが、それをPR?用に自分のHPに載せるのは? マゾなのか?

http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/information/%e3%82%a4%e3%82%ae%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%81%ae%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%a0%e3%82%ba%e3%82%88%e3%82%8a%e5%8f%96%e6%9d%90%e3%82%92%e5%8f%97%e3%81%91%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%82/


2017/02/08ニュース イギリスのタイムズより取材を受けました。

平成29年1月24日に取材を受け、1月30日の午前中に配信されました。
内容は下記のURLからリンクできます。

http://www.thetimes.co.uk/edition/world/loyalty-and-obedience-in-japan-nationalist-nursery-z360hdwdj

訳は以下の通りです。

掲載記事訳文

日本愛国主義幼稚園の忠誠と服従

(平成29年)2017年1月24日、午前12時01分、タイムズ リチャード ロイドパリ
訪問者は、塚本幼稚園の風変わりで驚くべき点にすぐには気付かない。
笑顔で丁寧な先生、2~5歳の制服を来た子供達は、他の幼稚園と同様愛らしい。しばらくした後、園児たちの“おじぎ”をする光景に気付く。それはお互いにするのではなく、壁の写真に対してである。
それらは、天皇の画像である。:天皇陛下「明仁」、その父「裕仁」、さらに19世紀の明治天皇。「天皇陛下は、我が国の基盤です」と、カゴイケ・チナミ(先生の1人)は言う。「私は、天皇陛下に対しそのような尊敬の念を感じます。」
この学校は、ある時代をほうふつさせる。幼い園児は、日本の計算盤である“そろばん”を教わっている。毎朝、彼らは寒い中でも整列し、明治天皇が1890年に明示した教育勅語を詠唱する。それは忠誠への賛歌と狂信的な国家主義への刺激として、教育分野では禁止されたもの。彼らは、個性的で美しく、かつ高貴な日本と文化の見方を教え込まれている。
「私たちの目標は、我が国と国民の役に立つ子供達を育てることであり、かつ利己的な目的を追求しません」、カゴイケ・チナミの父、園長カゴイケ・ヤスノリ氏は語った。「国家への誇りをなくして繁栄はない」。
自由主義の日本において、塚本幼稚園は、1945年にさかのぼる残忍な戦争介入や、悲劇的な敗北を齎した愛国主義へと子供達を洗脳する施設である。それでも、ここにおける教育は更に必要とされている。
毎年、70名の募集に対し120人の希望者。教育費は毎月215ユーロ(26,000円)。4月には新しく小学校が開校され、12歳まで愛国的教育が行われる。その名誉校長は、内閣総理大臣・安倍晋三夫人、安倍昭恵氏のようだ。
籠池氏は語る、「第二次世界大戦後、“日本の歴史と文化は悪物だ”という解釈がどういうわけか発生した。伝統的なふるまいや慣習はほとんど喪失してしまった。当に今、人々は歴史・文化の理解や公徳心の必要性を認識している。
すべての科目は政治的なものではなく、将棋、剣道、伝統音楽やラグビーも含まれている。しかし籠池氏は例えば“女性の役割“という偏った考え方も持っている。”男の子はおとこらしく、女の子は女らしく“、と籠池氏は語る。
籠池氏は、4年間の安倍政権の間、その成長に影響を与えた愛国的な組織「日本会議」の委員である。それは、戦後の平和憲法の改正、教科書の改訂、戦争の残虐行為に対する自虐意識を排除する日本の愛国的歴史観を引き起こすものである。
世論の投票が示している。ふんぞり返っている右翼と違い、塚本幼稚園の世界観の普及が平凡な日本人を深く当惑させていることを。籠池氏は語る、「当学園を卒業した園児は、弁護士、政治家、自衛隊、芸能人になるべく巣立っている。その先輩クラスはまだ40代である。今後10年のうちに彼らは、先任の地位まで出世するだろう。」






 

「ルポ ニッポン絶望工場」

 投稿者:焚火派GALゲー戦線  投稿日:2017年 1月 9日(月)09時25分29秒
返信・引用
   出井康博著
 (主として)来日しているベトナム人の就労に関する実態とその悲劇、日本側の対応の官民あげたお粗末さ(と言うよりは確信犯)の告発本。(朝日新聞社はじめとしたメディアの偽善ぶりも)
 概要としては「働きに来ている実習生」の問題ももちろん取り上げられているが、それ以上に深刻なのが「留学生」の問題であることに光をあてている。 本当に「留学」としての名に値するのは数十人に1人であること。 大半は「偽装留学」で就労のための在日が実態であること。(本人は留学のつもりできたが、日本に来てみると学業どころではなく、悪条件でフル就労しないと生きられない場合も多い。)
 留学生の就労時間は週28時間以内となっているが、来日のためにブローカーへ年収の7年分を前借金していたり、日本語学校の入学金・授業料・寮費(これも相手の無知・無力につけこんでぼったくる)も必要だ。 週28時間以内しか働けないことや最賃ぎりぎりの仕事しかないことは伏せられている。 結果、週28時間のきまりをやぶって週50時間近く働く人が多い。 そうすると(それだけ夜勤すると)日本語学校の授業に出席しても学生は爆睡している者が多い。 話が違うと国に帰ろうとしても年収の数年分の借金をしているので家族が破産する。
 脱走して犯罪に手を染める者も出てくる。 
 

「北の喜怒哀楽」という本が出版されました、興味のある方はご一読を

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2016年11月18日(金)08時59分2秒
返信・引用
  北の喜怒哀楽 45年間を北朝鮮で暮らして
木下公勝著 高木書房 定価1512円

1960年、帰国事業で北朝鮮に渡った少年が
45年間の生涯で体験した北朝鮮の生活
炭鉱で死んだ親戚、日本人妻の悲劇、ソ連への密航、政治犯収容所の撤去工事
そして、どんな政治体制下にもある、日常のささやかな喜びと恋愛
ここには北朝鮮の人々の生活が息づいている

第一章 北朝鮮への「帰国」
第二章 北朝鮮での生活
第三章 炭坑での落盤事故
第四章 私の結婚と北朝鮮社会の実態
第五章 政治犯収容所の解体工事
第六章 私の見たソ連邦
第七章 金日成の死と社会崩壊
第八章 脱北を決意する
最終章 脱北者から見た日本

https://www.amazon.co.jp/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%96%9C%E6%80%92%E5%93%80%E6%A5%BD-45%E5%B9%B4%E9%96%93%E3%82%92%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%A7%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%A6-%E6%9C%A8%E4%B8%8B-%E5%85%AC%E5%8B%9D/dp/4884714466/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1479253180&sr=8-1&keywords=%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E5%85%AC%E5%8B%9D
 

大浦湾で新種イソギンチャク

 投稿者:焚火派GALゲー戦線  投稿日:2016年 7月23日(土)21時43分52秒
返信・引用
   分布域もとても狭い
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160723-00000017-ryu-oki
鹿児島大学国際島嶼教育研究センター奄美分室の藤井琢磨特任助教と琉球大学理工学研究科のジェイムズ・デイビス・ライマー准教授が、沖縄本島東海岸の大浦湾と金武湾で、ダルマスナギンチャク属の新種「ヒメダルマスナギンチャク」を発見したと発表した。調査報告は21日発行の国際学術誌「ZooKeys」に掲載された。藤井特任助教によるとダルマスナギンチャク属の新種発見は100年以上ぶりだという。

 ダルマスナギンチャク属は、1870~80年代に3種が見つかって以降、新種の発見がなかった。今回発見されたヒメダルマスナギンチャクは現在、大浦湾と金武湾のみで生息が確認されている。

 ヒメダルマスナギンチャクは流れが緩やかな内湾の砂泥底で生息している。ダルマスナギンチャク属の中で最も小さい体を持ち、体長は1センチ~2・4センチ。足の部分が細く伸びるのが特徴。軟らかく不安定な砂泥底で流されないように、足がいかりのような役割をしていると考えられる。

 砂泥底に生息する生物の多くは砂粒の大きさや水質などが細かく異なる「微環境」を好んでいる種が多いと考えられている。藤井特任助教は「ヒメダルマスナギンチャクも赤土や農薬の流出、護岸による潮流の変化など、微妙な変化でもネガティブな影響を受けやすい生物の可能性がある。基地建設に限らず埋め立てやダムからの多量の汚濁水の流入によって生息環境の悪化が危惧される」と指摘した。
 調査は2009~14年に行われた。
 

記憶しておくこと

 投稿者:焚火派GALゲー戦線  投稿日:2016年 7月18日(月)21時23分38秒
返信・引用
  http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS13H7O_T10C16A7PP8000/
南スーダン在留邦人が退避 チャーター機でケニア到着

2016/7/13 22:23

在ケニア日本大使館の関係者によると、政府側と元反政府勢力の戦闘が再燃した南スーダンの首都ジュバから13日、国際協力機構(JICA)の関係者ら在留邦人が退避し、チャーター機で隣国ケニアの首都ナイロビに到着した。日本の外務省筋は「日本人のJICA関係者らは全員、南スーダンを出た」としている。

 外務省によると、チャーター機はJICAが手配した。日本時間13日午後8時ごろジュバを出発したという。在留邦人に加え、日本の政府開発援助(ODA)に関連する外国人も搭乗しているとみられる。

 ジュバの空港は12日までに再開され、外国人らが国外に退避する動きが始まっていた。日本政府は近隣国のジブチに自衛隊機を向かわせたが、到着していない。


 対立関係にあるキール大統領と元反政府勢力トップ、マシャール第1副大統領は11日、それぞれ指揮下の兵士らに戦闘停止を命令した。国連当局者らによると、その後散発的な銃撃はあるものの、事態は小康状態に入ったもようだ。

 米大使館は、退避を望む米国人全てを対象に航空機を手配する方針。

 このほか、緊急医療援助団体「国境なき医師団(MSF)」などの支援団体もスタッフを引き揚げつつある。南スーダンに隣接するウガンダは、自国民を退避させるため部隊を派遣する方針。
 

宣伝

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2016年 4月17日(日)19時30分39秒
返信・引用
  まあこれは完全に自己宣伝で申し訳ありませんが、こういう本書きましたので、興味のある方はお読みください。

言視舎 評伝選 第5弾
渡辺京二
http://s-pn.jp/archives/2177
 

Re: タックス・ヘイブン騒動 その2

 投稿者:パンダ  投稿日:2016年 4月16日(土)09時08分8秒
返信・引用
  逝きし世の面影  http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008  にも読むべき解説が書かれました。
岩下氏と宗純氏の両方を読んで良くわかりました。いや正しく言うと、私が何をわからないか、が解りました。


私の中で、プーチンとオバマと習近平、、、さらに、不思議な関係になりました。もしかしたら世界は良い方に向かってるのかもしれないとも思えてきました。
 

Re: タックス・ヘイブン騒動

 投稿者:パンダ  投稿日:2016年 4月13日(水)17時33分51秒
返信・引用
  > No.6387[元記事へ]

まっぺんさんへのお返事です。


岩下俊三氏のブログに興味深い解説が書かれました。コメント欄と合わせると一層です。
http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/5034536.html

タックスヘイブン・・・いわゆる『租税回避』ですが、企業の場合は確かにその意味合いなのでしょうが、個人の場合は回避できる租税なんか微々たるものだろうと思うのですね。個人の場合はその地で営業なり事業なりをした挙句の租税を軽減するというよりも日本に置いておいたら税務署にばれてしまう『脱税金』を隠す場所なんだろうと憶測しています。

そこら辺の実情?を解説してくれる人がいないのはなんでかなあ?と、思っています。


> ツイッターとかフェイスブックで大騒ぎになってますよ。
> いわゆる「パナマ文書」のことですよね。
> タックスヘイブンで巨額の税逃れをしていた全世界の金持ちたちの情報がドイツのメディアを通じて流されたそうで、その数は膨大なものらしいです。日本でも相当多くの企業や個人が関係しているらしい。こういうのを全部正しく徴税すれば、貧困問題とか福祉もかなり改善されるのは間違いありません。
 

Re: タックス・ヘイブン騒動

 投稿者:まっぺん  投稿日:2016年 4月13日(水)10時25分50秒
返信・引用
  > No.6386[元記事へ]

パンダさんへのお返事です。

ツイッターとかフェイスブックで大騒ぎになってますよ。
いわゆる「パナマ文書」のことですよね。
タックスヘイブンで巨額の税逃れをしていた全世界の金持ちたちの情報がドイツのメディアを通じて流されたそうで、その数は膨大なものらしいです。日本でも相当多くの企業や個人が関係しているらしい。こういうのを全部正しく徴税すれば、貧困問題とか福祉もかなり改善されるのは間違いありません。

> タックス・ヘイブン騒ぎで世界がにぎわっていますが、誰も、どこにも、書いていないようなので歯がゆいから書きます。
 

タックス・ヘイブン騒動

 投稿者:パンダ  投稿日:2016年 4月11日(月)19時16分15秒
返信・引用
  タックス・ヘイブン騒ぎで世界がにぎわっていますが、誰も、どこにも、書いていないようなので歯がゆいから書きます。
あれを指して「プーチンと習近平を狙ってる」という声がありますが、脅威を感じているのは、例えば日本じゃあ自民党とか財界のカスでしょう。
プーチンにしたらロシアの赤い貴族の残党?を粛正する材料だし習近平にしたらもっと露骨に汚職や裏社会の粛正に使える。あれだけの情報は誰でもいじれるわけじゃあない。当然バックに強力な組織が窺える。ロシアスノーデン?の得意技みたいなもんじゃあなかったかしら。

しばらく前にまっぺんさんが「クリミアへのロシアの出兵阻止」を言ったことがありますが、ロシア内でプーチンにクリミアへ出兵させてはいけないぞという世論を作り上げたのは、おそらくプーチンサイドでしょう。そういう声を作ることでアメリカの仕掛けに乗らないで済まそうとしたのでしょう。まんまと成功したyほうですね。今回も文書流出の標的がプーチンや習近平だというような煙幕を張って、まんまと世界のカスの首根っこを押さえちゃったように思えます。

少なくともこの件でダメージを受けるのは圧倒的に反ロシア、反中国だろうということだけは容易に思案できます。
 

サンダースのプロモーション映像

 投稿者:焚火派GALゲー戦線  投稿日:2016年 3月27日(日)16時51分3秒
返信・引用
   サンダース候補が某有名歌手・ヒット曲のパロディ動画に出演してプロモーションしてる。
Bernie Sanders' 'Hotline Bling'
 https://www.youtube.com/watch?v=XLveuzoauBo


 元ネタ
Drake - Hotline Bling
https://www.youtube.com/watch?v=uxpDa-c-4Mc

アーティスト: ドレイク

アルバム: Hotline Bling
 

Re: 「マルグロ」の語源!!

 投稿者:まっぺん  投稿日:2016年 3月20日(日)09時42分44秒
返信・引用
  > No.6383[元記事へ]

四方丸彦さんへのお返事です。

まっぺんです。すいません。ほったらかしにしてました。
まるぐろ (??) 全然知りません。新しいことば?
 

「マルグロ」の語源!!

 投稿者:四方丸彦  投稿日:2016年 3月13日(日)07時03分30秒
返信・引用
  「マルグロ」の!語源は!!こういうことでしたっけ!!!

以下!「革労協スレッド25」より引用!!
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1448279652/

412 :革命的名無しさん:2016/02/15(月) 22:09:50.39
【共産趣味】マル共連2軍【総合スレ】 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1434632108/

「マルグロ」って狭間が思い付いた革マルの呼び名で流行らせようと一時期「解放」紙上でも多用されてたけど、当時の解放派学生活動家にとっては、「は???何それw普通に革マルって言えよ面倒くせえ」って感じだったよな

413 :革命的名無しさん:2016/02/15(月) 23:22:29.31
>>412
どういう侮蔑の意味を込めたんだろうか

革マルは精神世界がグロテスクとか?

414 :革命的名無しさん:2016/02/15(月) 23:38:22.65
>>413
たぶん標的にするという意味の「マル」と革マルの「マル」を掛け合わせて、黒田の「クロ」を足したのでは?
「マルクロ」では語呂が悪いから「マルグロ」
当時の解放派学生の雰囲気は「なんだよそれw狭間ってセンスねーな」という感じで誰も使わなかった
結局定着しなくてそのうち機関紙でも見なくなったな

415 :革命的名無しさん:2016/02/15(月) 23:40:57.50
あとはJR総連革マルと革マル本体を区別する時に使われてたな

416 :革命的名無しさん:2016/02/15(月) 23:56:48.04
>>413
黒田、グロテスク、マルクス主義を黒々と塗り潰す、とか色んな意味を込めたとか込めてないとか…手元に資料がなく、うろ覚えだけど、確か96年くらいに出た機関誌(ごんべんの方)に載った、狭間執筆とされる「谷川」署名論文だったと思う。
まったく普及することなく、その三年後には分裂したから「マルグロ」なんて言葉があったこと自体忘れてたわ。
その説明がもうね…「俺すげー事考えたった」的な自己陶酔丸出しでとても読めたもんじゃなかった。狭間の対革マル武装闘争からの逃亡を意味する記念碑的論文とまで言われてたし。(無論分裂後の話だけど)
 

カクマル=マルグロ派系全学連の全国大会!!

 投稿者:四方丸彦  投稿日:2016年 3月12日(土)22時39分38秒
返信・引用 編集済
  >http://www.jrcl.org/
>〔スケジュール〕
>全学連第85回定期全国大会
>3月14日(月)~15日(火) 於 東 京

こちらも!!目が!離せません(ワクワク)!!!
 

日共=民青系全学連の全国大会!!

 投稿者:四方丸彦  投稿日:2016年 3月12日(土)22時26分58秒
返信・引用
  https://twitter.com/zengakuren64
>全日本学生自治会総連合 ?@zengakuren64  ? 2月27日
>第67回定期全国大会、無事成立し決議、予決算などの採決を行いました!
>参加してくださったみなさん、委任状を寄せていただいた加盟自治会のみなさん、ありがとうございました^^
>選出された新中央執行委員会の活動がこれから始まります!

大会の会場も!新執行部の顔ぶれも!公表しないって!これ!本当に!大衆団体か???
 

過疎っているようだから!!

 投稿者:四方丸彦  投稿日:2016年 3月12日(土)22時18分35秒
返信・引用
  過疎っているようだから!!乗っ取りますよ!!!  

インターゼッケン

 投稿者:インター大好き共産趣味者  投稿日:2016年 2月13日(土)15時37分26秒
返信・引用
  インターが付けてた3・26と5・20のゼッケンの詳細お願いします。
できれば写真とかもお願いしますo(_ _*)o
 

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